
僕はかえるです。軍記物やTV作品、アニメやゲームで人気の戦国時代の武将である織田信長は、「本能寺の変」で亡くなったと言われています。
信長は何のために戦ったのでしょうか?
戦国武将の時代
信長が生きた時代は、実力者がのし上がる「下克上」が盛んで「力こそが正義」の時代でした。守護大名だけでなく、素浪人や農民、商人出身でも強ければ戦国武将になれる実力社会でした。室町幕府が失墜した15世紀から16世紀にかけて、領主たちが一国の主を目指し、自分の土地を広げようと各地で争いをはじめました。
信長はどんな人物だったのでしょうか?
同時代人による信長についてのもっとも的確な人物評は、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスによるものとされています。
極めて著名なピカタン(司令官)として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない。
出典:フロイス『日本史』

①極度に戦を好み、軍事的修練に勤しんでいました。
②貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術に極めて老練でした。
③機運が己に背いても忍耐強く、善き理性と判断力を有していました。
④ほとんど家臣の忠言に従わず、一同から畏敬されていました。
⑤正義において厳格で、自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおられませんでした。
⑥いくつかの事では、人情味と慈愛を示しました。
⑦神および仏の一切の礼拝、尊崇、迷信的慣習の軽蔑者でした。
⑧困難な企てに着手するに当たっては、甚だ大胆不敵で、万事において人々は彼の言葉に服従しました。
出典:Wikipedia
カード番号「0」。(正位置)自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才。(逆位置)軽率、わがまま、落ちこぼれ、ネガティブ、イライラ、焦り、意気消沈、注意欠陥多動性。
幼少期の信長は「うつけ者」でした
織田家の後継者として育てられた信長は、幼少期から奇抜な行動や挙動が多く「尾張国の大うつけ」と呼ばれていました。
信長の中で生きる縄文人意識のエネルギー
参考Web:
織田信長の生い立ち〜うつけ者の幼少期と性格は冷酷評価の男の名言
Wikipedia織田信長
参考文献:日本列島から日本人が消える日